沿革
愛国心―自分の国を愛し誇りを持つという気持ちは、いつの時代でもどこの国においても誰もが持っているものだと思いますが、本校の『愛国』という校名には、創立者の織田小三郎・淑子両先生の女子教育に対する強い思いがこめられています。
昭和の始めに東京麻布で著述出版業を営んでいた両先生は、世の中が戦争へと向かう中で事業で得た財産を国に寄付をして田舎へ帰ろうと決意なさいました。当時は「お国のために」と民間から軍に飛行機を献納することが推奨されていました。飛行機の名前は決められていて陸軍への献納機は「愛国号」でした。しかし熟慮の結果「本当に国を愛するのなら兵器ではなく未来を担う人材を育成する教育に私財を使うべきだ」と、都の東・江戸川区小岩に学校を創立なさいました。女子が教育を受ける機会が少ない時代でした。しかし社会的に自立した女性・わが子に正しい家庭教育ができる女性が必要になるとの確信もお持ちでした。そして昭和13年(1938年)に織田教育財団を設立、翌14年(1939年)、初志を忘れずに『愛国』の名を冠し、文部大臣の認可の下で『愛国女子商業学校』を開校なさいました。
戦後の学校制度改革で女子商業学校は昭和22年に中学校・23年に高等学校に、教育財団は昭和26年に学校法人になりました。その際、進駐軍から「愛国」という学校名は変更するようにと言われましたが、自分の国を愛することがなぜいけないのかと両先生は応じられず、現在に至っております。
昭和13年7月 |
財団法人織田教育財団設立 |
昭和13年12月 |
愛国女子商業学校文部大臣認可 |
昭和14年4月 |
愛国女子商業学校開校 |
昭和22年4月 |
新制度により愛国中学校併設 |
昭和23年4月 |
愛国高等学校設立 |
昭和26年3月 |
新制度により財団法人を学校法人愛国学園と組織変更 |
昭和37年2月 |
愛国学園女子短期大学家政科開設 |
昭和40年2月 |
短期大学附属龍ケ崎高等学校開設 |
昭和44年2月 |
愛国学園保育専門学校開設 |
昭和55年3月 |
短期大学附属四街道高等学校開設 |
昭和55年4月 |
愛国高等学校衛生看護専攻科開設 |
平成10年4月 |
愛国学園大学開設 |
創立者・初代理事長
織田小三郎 先生
創立者・第二代理事長
織田淑子 先生
第三代理事長
三浦亮一 先生