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2023.02.02

👹保育園児さん節分の豆まき👹

今年の節分は2月3日です。
節分とは「季節を分ける」ことで、翌日は「立春」となり春(新しい年)が始まります。

「立春」は一年のうちで最も太陽の高度が低く昼の時間が短い「冬至」(昨年12月22日)と、
春に昼の時間と夜の時間とがほぼ等しくなる「春分」(今年は3月21日)との中間にあたります。
まだまだ寒い冬でも暦の上では立春から春、手紙などの時候のあいさつも春バージョンになります。
新年の行事が「新春○○」(例:かるた大会)となるのはこのためで、「え~まだ冬じゃない?」は解決です。

さて、皆さんも年末になると大掃除をして、さわやかに新しい年をお迎えになっていらっしゃると思います。
「節分」は新年を迎えるにあたっての大掃除、心の中やあちこちに潜む邪気(悪さをする鬼)を退治する行事です。
起源は中国、日本では「追儺(ついな)」と呼ばれ8世紀初めから宮中(天皇のお近く)での年中行事として行われました。
追儺についての古い記述が勅命史書(天皇の命令より編さんされた歴史書)『続日本紀(しょくにほんぎ)』にあります。
そこには「疫病の流行で多くの人が亡くなったので慶雲3年(706年)12月晦日に厄払いに行った」と記されています。

ここで大活躍するのが「方相氏(ほうそうし)」という鬼を追い払う役目の大男で、宮中警護の役人が扮します。
白い顔に4つの金色の目が光る長方形の大きな仮面を着け、緑が差し色の黒い衣装に朱色の裳(も)を着用しています。
左手に大きな盾(たて)を、右手に矛(ほこ:長い柄の先に両刃の剣をつけた武器)を持ち、地面を突いたり打ち鳴らしたり。
そして「鬼やろう!」と大声を上げながら内裏(だいり:天皇の日常の居所や執務場所)を巡り、鬼を都から追い出します。
格調高い宮中行事、「やろう」は「鬼のヤロウ!」ではなく「遣らふ(やろう)」で「追い払う」、「鬼よ出て行け!」です。
これが民間に伝わって節分の豆まきの原型になったとも言われていますが、追儺では鬼を追うのに豆は使用されていません。

添付画像は「吉田神社での追儺 」『都年中行事画帖』(1928年)で 【パブリックドメイン】です。
昔の宮中行事に近いと思われる方相氏の様子は、「平安神宮 追儺」で画像検索なさってご覧下さい。

何だか方相氏にも十分👹鬼👹の雰囲気がありますが、あくまでも正義の味方です。
毎年節分には、鬼に扮した【なでしこ保育園】の5歳児さんが豆まきにいらっしゃいます。
自分で作った鬼のお面を着けての「おには~そと!」、もしかしたら鬼ではなくて正義の方相氏なのかしら。
そろそろ丸3年になる感染症の流行も、「おには~そと!」と、しっかりきっちり厄払いをお願いしたいものです。

もうすぐ卒園なさる なでしこ保育園きりん組みどりバッチの皆さんの、【おねえさんの学校】での最後の行事です。
職員室でごあいさつをした後、紅白の三角パックに入ったかわいい豆を力いっぱいまいて、気合い入れて鬼退治。
園児さんたちは鬼役の男の先生に追いかけられながらも勇敢に立ち向かい、大きい鬼は降参して逃げました。
最後に「福の神さま」がおいでになり、消しゴムスタンプの「福の紙」を下さって、めでたしめでたし。

いただいたお豆、とっても美味しかったです。
家でも豆まきをしますが、何年も前から「年の数だけ豆を食べての厄払い」が苦しくなってきました。

本校は女子校です。
鬼退治や厄払いが終わった清々しい校内。
お嬢様方の健やかな成長を願い、立春の日に雛人形を飾ります。

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