2024.01.12
石川県の皆様へ【親切基金】から100万円
この度の「令和6年能登半島地震」で被害に遭われた皆様に衷心よりお見舞いを申し上げます。
また、寒さ厳しく余震が続く中でも全力で救助や支援に尽力なさる多くの方々に敬意を表します。
1月11日(木)、本校学友会役員の中3と高3の3名が、千代田区の都道府県会館の石川県東京事務所に伺いました。
生徒代表は所長の 中谷 安孝 様 にお目にかかり、お見舞金として 【親切基金】 から100万円をお渡し致しました。
中谷様は年末年始の休暇で石川県に帰省していて元日の震災に遭われ、それでも東京事務所に戻られたそうです。
高校3年生は昨年3月の修学旅行で北陸新幹線で金沢へ、羽咋に宿泊し兼六園・千里浜・那谷寺なども訪れています。
縁のある石川県での災害、在校生だけでなく卒業生の思いも込めた基金からのお見舞いをしっかりお届けしました。
「必ず県民のために大切に使わせていただきます。皆さんによろしくお伝え下さい」とのお言葉をいただきました。
改めて、生徒が大切に守っている【親切基金】について ご説明致します。
校訓を「親切正直」と定めている愛国中学・高等学校の生徒銀行には「親切基金」の口座があります。
この基金は昭和34年(1959年)4月の 皇太子殿下(現在の上皇陛下)御成婚 を記念して設立されたもので、
祝賀ムードの中で自分たちも何か社会に役立つことを始めようと当時の生徒たちが立案し実行したそうです。
当初は「全校生徒が毎月10円程度お金を出し合い100万円に達したらその利息で親切を実行する」計画でした。
しかし、その年の9月の伊勢湾台風で罹災(りさい)した方々の大変な様子を知った生徒たちからの申し出により、
親切基金の積み立てを始めたばかりではありましたが、出来る範囲でのお見舞をさしあげることに致しました。
現在では新入生が入学する時に親切基金設立の経緯や意義をご理解の上で1人200円ずつ協力いただいたり、
中学生が創立記念祭のお客様や保護者・教職員に主旨をご説明 して寄付をお願いしたりしながら基金を維持し、
人類の叡智(えいち)でも抗えない不慮の自然災害で辛い思いをしている世界中の方々にお見舞をさしあげています。
生徒からのお見舞いはアポイントメントを取って学友会役員が大使館や県の東京事務所・日本赤十字社等にお伺いし、
特命全権大使閣下や各県東京事務所の所長様・日本赤十字社の代表の方などに、言葉を添えてお渡ししています。
親切基金の使用は、生徒代表の学友会役員の総意によって学友会会長から申し出ることを基本として決定します。
戦争や抗争など人間の力で回避できるものでなく、どんな立場の人から見ても助けが必要な広域災害が対象です。
【 お見舞いのお届け先一覧表はこちら 】➡ 親切基金 表
もちろんお見舞金はそれぞれの機関が開設している義援金の受付口座に振込むことも可能です。
でも、60年以上積み立てている本校生徒の「被災地の方に心を寄せる」気持ちを直接お伝えし、力になりたい。
代表生徒は30分程の短い時間でも被災地のご苦労を知り、多くを学び、心に刻み、翌日放送で全校に報告します。
ご多忙の中でお手間を取らせることは本意ではありませんので、必ず学校長がお電話で訪問が可能かを確認します。
窓に掲げた国旗・ビルの一室に国旗と国家元首の写真と机、大使の他には少数のスタッフという大使館もありました。
多くの日本の人が小さい国の被災者に募金してくれて感激している…日本人女性スタッフが通訳して下さいました。
中国大使館が通常より厳重な警備の理由は国家主催の追悼行事、生徒が中国国営放送のインタビューを受けました。
「ママの国がフィリピンです」という役員が母の国へのお見舞いを泣きながら大使館にお持ちしたこともあります。
衛生看護科の生徒が日本赤十字社に伺った際は、地下の備蓄倉庫や手術可能な救急車の内部も見せて下さいました。
長年東北修学旅行で訪れている福島県・宮城県・岩手県、そして同じく関西北陸修学旅行で長いお付き合いの石川県。
本校では在校生が生徒銀行に個人口座を持ち、「無駄遣いをせず継続して貯金する」という貯蓄教育をしています。
その一環として、自分のための貯蓄だけでなく 他人のための貯蓄をするのも大切な社会貢献だと考えております。
基金があれば不幸にして災害が起こった場合などに急きょ募金をお願いするよりも迅速に対応することができます。
生徒たちはこの基金を使う機会がないことを願いつつ、善意の備えとして【親切基金】への協力を続けております。
遠く離れた東京からではありますが、行方不明の方々の一刻も早い発見・被災地の皆様や救助に当たる方々の安全・
電気水道・道路や公共交通機関などインフラの早期復旧、そしてあの美しい能登半島の復興をお祈り致しております。